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ここで一度自分自身を振り返ってみようと思う 2

今回は中学卒業後~東京に行く前(26歳)を
振り返ってみようと思います。




中学卒業後、家の事情により(つうか経済的事情)
夜間高校に通いながら働く事を選択。
家には私立に行かせるだけの金はなく
僕には公立に行けるだけの成績はなく
自ずと選択肢は一つになった。
高校については1年を二度やって退学。
まあ、やっぱり「子供」だったのだね。
遊びたい、テレビが見たいなんて、しょうもない
理由で授業には出ずに仕事が終わったら
とっとと家に帰っているかゲームセンターに
行っているかしていた。
当然、出席日数が足らなくなり「留年」「退学」と
相成った訳ですな。

それで最初の職場については約6年位
在職していたのかな?
入社して間が無い頃は中学校出たてでもあり
見た目が小学生と変わらなかったからねぇ。
現場の男性社員の皆さんからは「息子」「弟」の様に
女性社員の皆さんも同じ様に可愛がって貰いましたよ。
勿論、仕事の面では厳しく接して頂きましたが。
仕事中、厳しい叱責をされて涙を流した事は
度々ありましたよ。
現場の社員の皆さんは社員と言うより「職人」でしたね。
だから、指導には愛情がありましたよ。
仕事以外の時は全員優しい、おじさんであり、お兄さんで
ありましたからね。
日頃、厳しい言葉で叱り付けるおじさんも仕事以外では
周りの人達に僕の事を指差して「こいつはワシの息子や」と
言って憚りませんでしたし。
でも、同期入社の人達はどんどん辞めて行ってしまい
僕一人が残っただけ。
その頃には一通りの現場を回っており、欠員補充役が
メインでしたね。
一番目か二番目に周りに恵まれていたのが
この会社でしたね。
会社はともかく、派遣先の社員の皆さんには大変
お世話になりました。

こぼれ話じゃないですけど、一番のモテ期がこの頃で
昼食時の食堂とか別の派遣先に応援に行った時とか
僕を見た若いお姉さん達全員「キャ~!カワイイ!!」と
叫んでいました。
ホントにホント。

その会社を辞めたのが二十歳か二十一歳の頃で
やっぱりバブルの絶頂期であった当時は慢性的な
人手不足であり、毎日が早朝から深夜までの勤務。
流石に「俺殺される」と思って辞めました。

その後、当時兄貴の勤めていた会社に兄貴の
お目付け役として入社して、兄貴が退社と同時に
辞めて、競艇場のガードマン、神戸の地震の時の
避難所のガードマン、お菓子工場のガードマン等を
(と言ってもガードマン会社は2社だけ)転々として
25歳の時、東京に行く事を決意。
お金を貯めて26歳になって数ヶ月が経ち東京へ
行きました。




とまあ、やっぱり駆け足でしたが、この頃は一番初めに
入社した会社の印象と思い出が強かったのでメインに
しました。
次回は東京に住んでいた時代を振り返ってみようと
思います。

テーマ : ヒストリー
ジャンル : その他

ここで一度自分自身を振り返ってみようと思う 1

折角時間がある事だし「自分史」なる物を
作って行きたいと思う。




1970年(昭和45年)12月15日午後4時に
栃木県の足尾(今の日光市足尾)で4人兄弟の
3番目として誕生する。
父親は足尾銅山の中で働いてたそうな。
僕が生まれた病院は通洞病院(通称鉱山病院)で
今は警察署になっている。
体重は4050グラムで予定日より遅れて誕生。
エピソードとしては中々生まれる兆候が見られないので
産科医が家に帰ろうとした時にお袋の陣痛が
始まり帰るのをやめたそうな。
僕が誕生して直ぐに別の方が産気づいて結局
僕と取り上げた産科医さんはその日は家に
帰れなかったそうな。

その後、親父がいた組(当時鉱山等は○○組と言う
小さな組織の寄せ集めだったそうな。
まあ、今の建築現場、道路工事現場で見掛る
○○組と同じと思って下さい。)が解散して
様々な土地を転々として(つうか親父が鉱山とかで
働いていたから、そのツテで)小学校に上がる。

小学2年(昭和53年)の三学期の時に人生最初で
最大の出来事に遭う。
それは父親が腎不全(両方共)で人工透析を
受ける様になり一生働けない体になってしまう。
それから、タダでさえ裕福な家庭ではなかったが
更に貧困に喘ぐ様になる。
生活保護のお金と二ヶ月に一度の父親の
障害年金生計を立てていた為、酷い時は
お粥、おじや等が毎日続いてたっけなぁ。
唯一の栄養源は給食だったなぁ。
だから当時の僕は同学年の人より身長は
低く、痩せ細っていたよね。
僕だけではなく、上二人(兄と姉)も同じ
体型だったよね。

小学3年(昭和54年)の12月26日に弟が誕生
(平成13年にマルチに騙されて自殺)するのだけど、
この年のクリスマスの夜は母親がお産の為入院してるし
父親は昼からの透析で夜9時過ぎにならないと
家に帰って来ないから子供3人だけでやったけど
寂しいよね。

他にも父親が様々な手術をして入院するもんだから
母親が家を空ける事がしばしばあったなぁ。

兄が知的障害の指定を受けたのが兄が中学校卒業して
どっかの施設に入る時に検査を受けてB2の指定を
受けたと思う。

そんな家庭だから姉が十代後半からグレてしまい
家に帰らない日々が続いたりしてた。

そんな家庭を無邪気に見てたのが中学校卒業迄の
僕でしたね。

小学校、中学校では碌な思い出なんてなかった。
だから同窓会とか行った事がないし、誘われた事も
ないよ(無理に行こうとも思わないし)。

近所の人や親戚はそんな僕に「よく、あんな家庭で真面目で
素直に育っているなぁ」と感心されていた。

近所の中で一番可愛くて素直だったから中には
僕を養子に迎え入れたいと両親に直談判した
人もいたそうだしね。

僕としては周りの人達を見て「どうすれば『怒られないか?』」を
考えて行動してただけなんだけどね。
だから、周りの大人達の言う事を素直に聞き入れてた。
何も反抗せずね。




駆け足で生まれてから中学卒業迄を振り返って
みましたが、如何でしたか?
次は中学校卒業後から二十代前半迄を
振り返ってみようと思います。

テーマ : ヒストリー
ジャンル : その他

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4番のプロフィール
1970年12月15日生まれ
滋賀県草津市に生息中
現在は派遣のアルバイトで
滋賀県草津市に引っ越して
働いております。
YAHOO!の検定に合格するも
結局何の武器にもならなかった。
ただ、無用の長物にはしたくないので
活かせる方法を模索中。
一応インターネット教室で
講師を出来るレベルの
スキルがあるので地元の
ボランティアで講師を
やってみようかと、検討中。


趣味はインターネットで
10年以上の経験があります。
好きなミュージシャンは浜田省吾、
ブルース・スプリングスティーン、
ジャクソン・ブラウン、
サイモン&ガーファンクル、
WHAM!、a-ha。
今は4コマまんがに嵌っています。
<ここでCM>

4番

Author:4番
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