明後日から火曜日までちと忙しい

就職活動と親父の病院、
役所へ届けを出す等、
詰まっている。

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テーマ : 雑記
ジャンル : ブログ

ここで一度自分自身を振り返ってみようと思う 番外編2

僕の最近の趣味は4コマ漫画を読む事です。
月に4コマ漫画の雑誌を10冊買う位です。
そもそも漫画が大好きでこのブログのドメインの
patariro8は長年読み続けている「パタリロ!」の
主人公のパタリロ=ド=マリネール8世から
取った物です。
ではどれ位の期間パタリロを読んでいるのでしょうか?
実に30年近く読んでいます。
最近は掲載雑誌ではなく単行本が出たら買うだけですが
大昔は姉が買っていた「花とゆめ」を隠れてパタリロだけ
読んでいました。

小学校~高校中退後少し迄はジャンプを読んで
高校に入って間が無い頃にサンデーを読んでましたね。
お目当ての漫画はジャンプなら「3年(後にハイスクール)
奇面組、シティー・ハンター」サンデーなら「うる星やつら、
らんま1/2」でしたね。
でも「めぞん一刻」は単行本で揃えていましたし。
そうです、僕の十代~二十代前半までは完全に
「るーみっく・わーるど」に嵌っていました。
KAFCにも入っていましたしね。
らんまの単行本であれば全巻初版本です。
予断になりますが、東京の友達と結びつけたのが
KAFCのイベントでした。
それ位嵌っていましたね。

そんな僕がどうして4コマ漫画に嵌ったか?
それはコンビニで立ち読みした「ナオミだもん」の
増刊号を読んでからでした。
本当に嵌って当時作者である「こだま学」氏の
掲載されている4コマ雑誌全部買っていましたよ。
「るーみっく」は「犬夜叉」の辺りで読むのを
やめようかな?と思っていた矢先だったから
「ナオミだもん」を読んだ時即、サンデーを買うのを
やめました。
それからずっと4コマ雑誌を買い続けています。




他に趣味はないのか?と聞かれれば好きな
ミュージシャンのCDを聴く事ですね。
僕、こんな奴ですが、浜田省吾の大ファンで
ファン歴はかれこれ25年目に突入しております。
嵌ったキッカケは姉貴が友人から勧められて
浜省のテープを借りて来て流した時、浜省の
「終わりなき疾走」の歌詞ではないけど、
「稲妻が俺の身体を駆け抜け」状態でした。
ちなみに何のテープかと言うと当時リリースした
ばかりの「Down by the main street」で
一曲目の「MONEY」を聴いた時ですね。
イントロのE.ギターの♪じゃ~ん じゃじゃじゃ
じゃーん♪もそうだし、歌詞もそうだしメロディも
そうだし、何もかもに衝撃を受けました。
それから浜省の事を調べまくり、彼が「ジャクソン・
ブラウンの大ファンだ」と聞けばジャクソン・ブラウンを
聴いてましたね。

他はブルース・スプリングスティーンですか。
彼は「BORN IN THE U.S.A」の影響が
強かったですね。
まあ、思春期の時代を彼等の曲を聴きまくって
いましたからねぇ。

サイモン&ガーファンクルは幼き頃に聴いた
「明日に架ける橋」のメロディに感動した思い出が
あり、成長してから改めて聴く様になりましたし、
A-haはCMの影響。
変り種はWHAM!ですか。
WHAM!は中学の時当時の英語の先生がヒヤリングの
テスト教材としてWHAM!の「ラスト・クリスマス」と
「フリーダム」を聴かせた事により嵌りましたね。

マイケル・ジャクソンはスリラーのPVを見て
ファンになりましたし・・・




とまあ、僕の趣味と好きなミュージシャンのお話をして
本当に〆とさせて頂きます。
最後に・・・
僕が一番好きな曲は「町支寛二」さんの3RDアルバム
「PINKのクジラ」に収録されている「Lovin' you」です。
この曲は浜省の長年の盟友である町支さんの作った
メロディを聴いて浜省が感動して、すごく胸がキュンとなる
肯定的なラブソングにしようと詩を書いた曲で初めて
この曲を聴いた時、僕は感動して涙が出ました。
今は廃盤になって聴けないと思いますが、本当に
素晴らしい曲ですよ。

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ジャンル : その他

ここで一度自分自身を振り返ってみようと思う 番外編1

実は僕、無職の期間中に二度職業訓練を
受講しております。

一度目は東京から引き上げる前に品川技術専門校の
物流システム科にて訓練を受講しました。
エクセル、ワードについては、ここで覚えた事が
役に立ち、職務経歴書や履歴書を作成に重宝してます。
他にエクセルの関数については家計簿の作成や
給料計算とか結構役に立ちますね。
勿論、物流システム科ですから物流についても
勉強しましたよ。
ロジスティックシステムとかPOSとかね。


二度目は最近ですね。
ポリテクセンター関西の電気設計技術科にて
電気理論の基本とかね。
有接点シーケンスを使った制御盤の製作とか
ラダー図を作成して実際に機器を動かすとか。
他にもVBのプログラムとかね。
ここで少し本音を話すと中卒の僕には三角関数が
さっぱりわかりません。
中学の授業で習いませんから(爆)
高校の方はある程度理解していると思われるから
授業に付いて行けたと思いますが、高校に
行っていない僕にはちょっとしんどかった。
だから、座学より実践の方が面白かったですね。

今のご時世「訓練校の訓練で習いました」と
言っても企業から見れば「未経験」と言う事になり
就職に結びつかない事にジレンマを感じる時が
あると思います。
実際、僕も百社以上面接しましたが、訓練校で
訓練を受けた事が武器になった試しがありません。

でも、今は何もかも変わりつつある時です。
今を信じ、明日を信じ、将来を信じ、そして
自分を信じて訓練を受けている方は受けて下さい。
僕も将来、きっと今迄の経験が役に立つと信じて
生きています。

僕は「頑張れ」って言葉を使いたくありません。
理由は「既に頑張っている人達に『頑張れ』って
失礼にあたるんじゃないか?」と思うからです。
だから僕は変わりにこの言葉を贈ります。

「負けるなよ」

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ジャンル : その他

ここで一度自分自身を振り返ってみようと思う 4

今回は実家に戻ってから今現在迄振り返って
みます。



実家に戻って半年の間は仕事探ししていて
中々見付からずにいた所、新聞のチラシに
最初に入社した会社の募集記事があって
「腰掛け」のつもりで応募してみる。
つうか、当時の社員が未だ残っていて
本社に電話掛けたら僕の事を覚えてくれて
いたらしく、即前の派遣場所の事務所に
電話すれば「当時の所長がいるから一度
直接掛けてみて」と言われて掛けてみると
所長が「4番君かぁ~ 懐かしいなぁ~」と
即、事務所に来る様にと言われて、履歴書を
渡して即採用と相成った。
最初の2ヶ月の職場は以前と違う場所だったけど
やっている事は以前と同じく欠員補充。
あっちで手が足らんと言えば応援に行き
こっちで検査要因がいると言えば応援に
行ってた。
辞めた奴の代わりに次が来るまでの繋ぎ役も
やったな・・・。
そんなこんなで2ヶ月ちょっと経ったある日
所長に呼ばれて「4番君、長期で仕事が入ったが
行かせた奴、全員断りよんねん。
だから、助けてくれ」と言われて、翌日その現場に
所長と挨拶に行ったけど所長が「来週からで
いいですか?」と職長に聞けば職長が「明日から
お願いします」と返事する。
当時の僕は昼の3時~夜11時迄のシフトに入ってて
その現場は時々残業で夜中の12時半迄する
所だった。
しかし、新たに行く場所は朝8時半~夕方5時迄で
所長は気を使って土日を挟んでシフトチェンジ
させた方が、僕も楽だからと思って質問したけど
職長はそんな事とは露とも知らず返事した。
しかし、相手は天下の「○○」だから所長も
反論出来ずに結局、翌日から行く事に。
翌日から行った新しい職場には最初行った
職場と同じ「職人の集まりだな」と言う印象が
あったね。
だからじゃないけど、最初の方で僕の指導者である
班長にボロカス怒鳴られたけど、その分職長と
一緒にいてる○○社の社員さんにフォローを
入れて貰ったし、暇な時に、機械の周りを掃除して
綺麗にしてたら、班長からも「すまんな。助かるわ」と
声を掛けてくれた。
最初は「こんな職場直ぐに辞めてやる」と思っていたが
周りの人達がいい人だったので(仕事には厳しいけど)
それから約6年お世話になる。
しかも、退職の理由は現場が嫌だとか家庭的な
理由ではなくて○○社が派遣を使わない方針に
なって、法律的に僕もその職場にいる事が
出来なくなった事である。
今でもその職場の事を思い出せばいい事ばかり
思い出せるね。
職長や班長が「おい4番○日の予定空けとけよ」と
言われて「何でですか?」と聞くと「その日は○○班の
飲み会の日やから。」と帰って来る。
「会費は幾らですか?」と聞いたら「お前からは取らん」と
言われた。
ホントよく飲みに連れて行って貰いましたよ
(僕は下戸だからもっぱらソフトドリンクですが)。
○○社の忘年会だろうが「お前も立派な関係者だから」
と言って会費も取らないで参加させて貰ったり
僕の時給が新人と同じ金額であると知るやいなや
(他のバイトが喋ったらしい)課長と職長と班長が
血相変えて僕の所に来て「4番、お前の時給って
新人と同じってホンマか?」と聞かれたので「はい。
会社の方針で差を付けないそうです」と答えた途端
所長(当時は代変わりしていて別の人間)と僕の
現場担当社員を呼びつけて「こいつはウチの為に
色々頑張って、戦力になって貢献して来てる。
なんで、そんな奴と新人と同じ時給なんや!
少しは考えたらんかい!」と一喝。
所長達は「会社の方針ですし、今以上時給を上げると
赤字になります」と言うと「アホか!お前らナンボ、
ピンハネしてんねん!時給上げてマイナスになるなら、
ウチとの契約を更新してこいつについては時給を
上げる契約を結べばええやろ?」と課長達が怒鳴って
結局、時給ではなくリーダー手当として付ける事で
合意して時給が上がって多分同じバイトの中でも
上の方の時給を貰っていたんじゃないかな?

それ等の事を単なる派遣でバイトの僕にしてくれた。
だから、僕は一生懸命仕事をしてたし別にそこの
社員になれなくとも、保険とかやってくれれば最後まで
ここで働こうと思ったよ。

そうする事で課長や職長、班長、可愛がって頂いた
社員の皆さんへの恩返しになると思ったからね。

本当に辞める時は悲しかった。
最後の日に課長以下総ての現場の社員の皆さんに
「何も力になれなくてすまんかったな。
でも、何かあればいつでも遊びに来いよ」と言われて
別れた。

それから一年ちょっと仕事が見付からずに悩みまくって
やっと見付かった職場が過去のブログでも紹介した
最悪の職場だった。

結局、適応障害を発症して症状が重くなって
このままだと作業に影響が出て周りの皆さんに
迷惑を掛けてしまう事になりかねない状態になって
辞めましたが・・・




とまあ、駆け足で実家に戻ってから今迄を振り返って
みました。
僕の自分史はこれにて終了とさせて頂きます。
でも、駆け足で振り返った分、抜けている部分もあるので
そこの部分は番外編として扱ってみようと思います。

テーマ : ヒストリー
ジャンル : その他

ここで一度自分自身を振り返ってみようと思う 3

今回は東京に住んでいた頃を振り返って
みます。




東京に住んでた頃の話の前に住もうと思った
キッカケのお話をせねばなりませんね。
そもそもそう思ったキッカケはとあるイベントで
知り合った東京在住の友人の存在でした。
当時僕は20歳でそいつは未だ19歳。
イベントとか打ち上げとかで盛り上がって
意気投合し、お互いの住所交換してその日は
別れました。
で、そいつと手紙のやり取り(俗に言う
「ペンフレンド」)をやっていると翌年に
東京で「コミケ(正式名は東京コミック流通
マーケット)があるから一度おいでよ」と
お誘いがあったので、観光気分で東京に
遊びに行きました。
「宿の心配はいらないから」との事だったので
そいつの家にでも泊めて貰えるのかな?と
思ったのですが、東京の観光もそこそこに
そいつのバイクは千葉方面へ。
で、そいつが向かったのが今でも友人として
付き合っている僕より3歳年上の兄ちゃんでした。
で、何年かコミケの度に定宿としてお世話になり
馬鹿をやっている時に二人から「事業を
やってみたいから4番ちゃんも手伝って
くれるかな?」と打診を受けました。
僕は「少し考えたい」と返事して大阪に帰りましたが
僕自身「東京で何かやってみたい」夢があって
そんな事を踏まえて悩んで月日が経ったある日
東京の友人が「4番ちゃん、何時まで悩んでいるの?
そろそろ腹を決めないと年食ってからだとキツイよ」と
言われたのが最終的に東京行きを決めたキッカケです。

最初に東京に遊びに行ってから実に6年の歳月が
流れていましたからね。
僕も26歳だし「これが最初で最後のチャンス」と
思いましたからねぇ。
で、東京で家を借りる資金や職が見付かるまでの
生活費、その他費用を貯めて東京に引越ししました。

東京での我が家は六畳一間で、キッチン、トイレ付き
でしたが、一人で住むには十分だった。
でも一つだけ問題があって1階がスナックでしかも
防音設備が無いもんだから真夜中でもカラオケの
音が煩くて、大家さんに苦情を言ったのは一度や
二度ではありません。
しかも、隣に住んでいる爺さんが朝の6時に
大音量でラジオを聴いているもんだから
正直、熟睡出来たのは「昼間」だけですよ。
仕事が赤坂でとあるビルの施設警備だったから
夜勤明け、24当務明けの朝10時前に家に戻って
11時頃に寝て昼の3時前に起きる。
そして、銭湯に行って(一番風呂)買い物をして
夕食を食べる。
夜中の12時位までテレビを観たり、ゲームをしたり
ネットをやったりして12時過ぎに寝て次の日の朝
6時に起きて準備して家を出る。
途中の立ち食いそば屋でうどんをすすって朝食。
昼食と夕食は弁当を頼む。
次の日が公休だった場合はただ寝てるか、
テレビ観てるか、ゲームしてるかでしたね。
ネットは当時「フレッツなんとか」なんてサービスが
無かったからもっぱらテレホーダイの時間帯
(夜11時~翌朝の8時迄)しか出来ませんでしたし。

そんな生活を続けて数年になるのに未だ
会社を立ち上げる気配が無かったから
「あの話どうなったの?」と元々の言いだしっぺ
(二人とは別人)聞いてみようと連絡取ろうと
したが、連絡が取れない。
慌ててそいつの家に行ってみれば鍵だけ
掛かっていて郵便物の投函口から中を
見れば人の気配が無い。
友人達二人に連絡を取ってそいつの事を
聞いてみれば初めて事実に気付いたらしい。
結局3人で途方に暮れたのを今でも覚えている。

僕達3人はそいつの事を信用して保証人に名前を
貸していた訳だしそいつの為に僕達の名義で
消費者金融数社から金を借りていた。
勿論、最初の内はキチンと返済されていましたが
やがて滞るようになって行く。
連絡を取り「返済する様に」と言えば「ごめん
次、必ず返すから立替て」との事。

結局3人全員が破産する羽目になった。

そんな中、弟がマルチに騙されて自殺したと
高槻警察署の刑事さんから連絡がある。
現行法では捕まえられないけど、業者に
圧力を掛けて両親や兄弟には請求が
行かない様にするのが精一杯だったそうな。

そう言う事も重なり、事業の夢も破れた今
東京にいる理由が無いし、金もないし
32歳の時に実家に戻る事になった。




とまあ東京時代のお話を駆け足で振り返ってみました。
次は実家に戻ってからの生活を振り返ってみようと
思います。

テーマ : ヒストリー
ジャンル : その他

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招き猫
Translation(自動翻訳) 横型エキサイト版
4番のプロフィール
1970年12月15日生まれ
滋賀県草津市に生息中
現在は派遣のアルバイトで
滋賀県草津市に引っ越して
働いております。
YAHOO!の検定に合格するも
結局何の武器にもならなかった。
ただ、無用の長物にはしたくないので
活かせる方法を模索中。
一応インターネット教室で
講師を出来るレベルの
スキルがあるので地元の
ボランティアで講師を
やってみようかと、検討中。


趣味はインターネットで
10年以上の経験があります。
好きなミュージシャンは浜田省吾、
ブルース・スプリングスティーン、
ジャクソン・ブラウン、
サイモン&ガーファンクル、
WHAM!、a-ha。
今は4コマまんがに嵌っています。
<ここでCM>

4番

Author:4番
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